2015年12月24日木曜日

アイドルを検索せよ~ 2015年12月22日

指原(さし)ペディアをdailymotionの機能を使って貼り付けます。

ブロガーにも簡単に貼り付くようになっているので、下に貼り付けます。

著作権法上問題がないのかどうか不安なのですが、NHK-TVよりと明示して、フェイスブックやブロガーに貼り付くようにできているので、そのまま貼り付けます。



指原(さし)ペディア~アイドルを検索せよ~ 2015年12月22日 - Dailymotion動画


(貼り付けて試してみたら、こちらは、上のリンクをクリックすることで動画が見られるようになっているようです。
3017年2月28日、この動画は削除されているようです。著作権違反だったのですね。)

さて、これを貼り付けた理由は、動画の終盤に興味深い発言があるからなのです。



この番組は、主に、音楽クリエーターのヒャダインと指原莉乃のかけあいで進みます。

後半、ここに樋口竜雄というプロデューサーが登場して、そのプロデュースが話題として取り上げられます。

ほとんど終わりの部分ですが、ここが、私には、興味深かったのです。



話題のプロデュースは、撮影OKのライブ、そこでCDを無料配付したというものです。

撮影OKは、海外ならレディガガとかマドンナとか、以前から認めていたという発言もありました。


著作権や特許は作者の権利を守るものです。
ここで紹介されたのは、それをファンに解放することで、よりファンを獲得できるという新しい発想です。


かつて私は、画家に関して、著作権の保護期間が切れるまで待っていると、その間に忘れられてしまうと書きました。

昭和後半に活躍した画家は、今の美術系学生の間で忘れられています。

著作権を解放して、誰もが、軽い気持ちで「こんな絵」という具合にネット上で紹介できれば、平成の若者の心を打つ名作が少なくないと思うのです。


閑話休題


今日、日展を見てきたのですが、もし作品を撮影できれば、
「こんな絵がありました~」
って、ウェブ上で話題にできます。

きっと、その方が、いろいろな作家の情報が広がります。

一般の方々の関心を、少しは高めることができると思います。



スマホで撮影してウェブ上で交流することを認めれば、

さらに進んで、上手な記事に賞を出すようなことをすれば、現代美術は、もっとファンを増やせると思うのです。



著作権を主張しないこと、写真撮影とウェブ上での公開と交流を認めることで、美術界は活性化すると思うのですが、如何でしょうか。



かねてから、そんなことを考えていました。



少しもどります。



音楽界は、事情が違うと考えていました。

作詞家、作曲家、演奏家~

いろいろな人の利益が絡むから、美術界より著作権の問題は深刻だと考えていました。



その音楽界と言いましょうか、芸能界と言いましょうか、

そんな世界から、撮影OK、CD無料配布という発想が出てきたのです。



その話が上の動画の終盤に出てくるのです。



取り急ぎ、この辺で、アップします。






2015年12月8日火曜日

マサダ(砦)

「マサダ」は、「砦」という意味だそうです。
だから、「マサダ砦」と書くと、「とりで砦」と書いているようなものだそうです。
でも日本語で単に「マサダ」と書くと人名みたいですから、「マサダ(砦)」と書くことにします。

詳細は、ウィキペディアを御覧ください。
簡単に紹介すると「マサダ(砦)」事件は、キリスト教歴76年に起こった集団自殺事件です。
キリスト教歴と書いたのは、深い意味はありません。単に西暦です。

さて

西暦76年、ローマ帝国に抵抗してマサダ(砦)に立てこもった967人が女性2人と子ども5人を残して集団自殺したという事件です。

出会ったジュー(ユダヤ教徒)に質問しました。
「マサダ(砦)はジューにとって英雄譚ですか」

彼は、ウェブ上の情報を示しながら答えました。
「現代ユダヤ教は、マサダ(砦)事件を良くないことだと考えています」
「どんなことがあっても生きるべきです」

こういう言葉が大切だと思います。

********************************

ところで私が知り合ったジューは、「マサダ(砦)」事件は英雄譚ではないと答えたのですが、今、その情報を見つけることができません。誰かオーソライズされた情報源を知っていたら教えてください。






2015年11月25日水曜日

2015年10月24日土曜日

乗っ取られました

いくつかのブラウザを使い分けているのです。
久しぶりにファイヤーフォックスを立てたら

hao123に乗っ取られていました。

スタートページにしませんかという表示がでたので「ノー」にしたのですが・・・・

こんな勝手なことをする人を厳罰にできないのでしょうか?


2015年10月18日日曜日

線を引く

無料ブログで画像を動かす練習をしました。
厳密にいうと「動かす」のではなく「2枚の画像を入れ換える」のですが、これをやりたかったのです。
やり方は数種類あるようです。
 ホームページではできていたのですが、色々なサービスがついているブログでは、なかなかうまく行きませんでした。
アメブロから練習を始めて、ライブドアブログ、ビッグローブブログと、色々試しました。 その結果、エディターで編集したHTMLプログラムをそのまま貼り付けて、最も抵抗なくできたのがこのブロガーでした。 
60過ぎの手習い。
勉強に約一週間かかりました。
ぐったりポン です。
おまけがありました。
一枚目は逆に動きます。
画像の順番が違うのです。
やり直しました。
2枚目が正しい。
でも、しばらく記念に失敗作品も残しておきます。 

さて
説明です。

自由に線を引くと、どんな線を引きますか? 
私は左から右へ、やや右上がりに線を引きます。 この動きが私には一番自然です。
取り敢えず2枚目の絵にカーソルを乗せてみてください。 線を引いているように見えませんか。 それをやりたかったのです。






何を言いたいか。
人間が自然に線を引くと、肩、肘、手首などの関節を中心とした、円の一部のような丸みある線を引くということです。

つまり直線を引こうとしても、注意しないと線が歪んでしまうということです。

直線を引くとき、この癖を知っておくことが大切です。



2015年10月8日木曜日

ШЕСТЬ ЦВЕТОВ РУССКОЙ ДУШИ(ロシアの魂6色)





ロシア精神・6つの色として

ジョストボ、パレフ、ムスチョーラ、ホールィ、ニジニ・タギル、フェドスキノが紹介されます。
ユーチューブの機能を使って貼り込んでみました。






2015年9月23日水曜日

老人閑居して

暇老人
元気になったら
浪費する

無駄遣い
辛抱したら
閉じこもり

シルバーウイーク
ぐっと我慢の寝たっきり

5日寝て
たまりかねて歩いて
無駄遣い

あーあ




便り

最近懐かしい人から近況をお知らせ頂きました。

若いころは、色々と忙しくって、なかなか過去の人に連絡などする気にならないものかと思います。
少なくとも私の若いころはそうでした。

今の私は、
老人閑居して・・・・
若者の学問研究状況を知らされるのは嬉しいものです。

若者の学ぶ様子に刺激され、少し元気が出たような・・・・
そんな気分でした。

閑話休題

メールを頂きます。
返事を書きます。
当方は伝わったつもりでいるのですが・・・・


スマホ・メールは、設定次第でパソコンメールを一斉に拒否できるそうです。
そうしますと、スマホからメールを送られた私は、そのメールに返信しても伝わっていないという現象に見舞われます。


メールを送って確認電話をする。
「意味がない」という笑い話がありました。
でも、スマホのパソコンメール一斉拒否設定は、そうでもしないとわからないようです。

せめて、スマホの持ち主が送った宛て先からの返信メールだけは拒否設定が外れるようにすれば良いと思うのですが、馬鹿なプログラマーは、そんなことを思いつかないようです。

オートマチック。
機械任せ。
怖いものです。

小さな親切、余計なお世話。
オートマチックの恐ろしさについては、以前にも書きました。
リンクを貼っておきます。ついでにご覧頂ければ幸いです。




2015年8月29日土曜日

学習指導要領

学習指導要領を検索していて気になりました。

美術、体育、技術・家庭科

どこを見ても用具や材料の適切な準備、後片付けに関する記述がないのです。

これは国民に必要な知識や技能ではないのでしょうか。

子どもは、粘土で形作る学習をしますが、これを準備したり後片付けしたりする知識や技能を学ばなくて良いのでしょうか。

これは生涯学習能力ではないのでしょうか。




2015年7月23日木曜日

ついてる

7月22日(水)京都市立美術館へ行きました。
この日は、幸運でした。

京都、地下鉄四条駅を降りたら・・・・
本当は階段を上がっているのですが、「降りたら」で良いのでしょうか?

四条通りを少し歩いてバス停についたら直ぐに5番のバスが来ました。
岡崎公園、美術館方面行きです。

展覧会を見終わって美術館を出ると京都駅行きのバスが来ました。

さらにさらに

このバスに乗っている間に篠つく雨。
京都駅に着いたら小降り。

ついているというのでしょうか。
こんな日もあるのだと、嬉しくなりました。


2015年6月22日月曜日

鹿


20150611春日大社と飛鳥園を見た帰り、鹿が絶好の位置で写真を取らせてくれました。

おしまい。





2015年6月13日土曜日

不調

景気が上向いてきたというのですが、実感はわきません。
平成初期、バブル以前は、本当に「こんな状態は長続きしないだろう」と不安になるほど絶頂感があったように思います
昭和末期が絶頂。落ち目の平成。
そんな感じがします。


2015年5月23日土曜日

電車、扉、外の人

2015年5月22日(金)夜の話です。

電車が停車して降りようとしたら扉の外中央に見すぼらしい中年男性が立っていて乗り込もうとしました。
突き飛ばそうかと思ったのですが、じっと立ち止まってにらむにとどめました。

駅員も、扉の前を空けてお待ちくださいという放送をしなくなったのでしょうか。

しかし、日本人として恥ずかしい話でした。



2015年5月16日土曜日

職人の技展

2015年5月8日(金)、15日(金)、大阪上本町近鉄百貨店で「職人の技」展を見ました。

昨年は、
似た表題の記事を6月15日にアップしています。

昨年話し込んだ方にも再会しましたが、退職年金生活者としては何度も同様の品を購入するわけにもいきませんから、お邪魔しない程度に声をかける程度でにとどめて失礼ました。

今年は、販売価格が高騰していました。
昨年6000円強で購入した商品と同等の作品が10000円を越えていました。
数十万円の高価な展示物もありました。

聞きますと、この間のデフレ脱却と円安で材料費が高騰しているそうです。

作る人の立場になるとその価格は了解できるのですが、購入する立場からはとても支払えない価格なのです。
こんな状態が続くと、「職人の技」が消えていくのではないかと心配になります。

そんな気分で歩いていると、木製の万年筆や鉛筆補助軸のコーナーを見かけました。
今までお会いした中で、最も細い製品を作られる木工轆轤さんです。

ウェブで検索するとサイトをお持ちのようですので、そちらのURLをリンク付きで貼っておきます。

https://www.pen-house.net/brand/brand0228.html

価格も、轆轤で手作りしたものとしては、かなりリーズナブル。
10年前ならとびついたことでしょう。
今、私は、コンピュータやタブレットに頼っています。
どうしても手書きが必要な時は、筆ペンなのです。
そして、もっと惜しいことに、私が求めているコンテ鉛筆の補助軸は作っていらっしゃらなかったのです。

鉛筆は、私の測定では約7.2ミリですが、あるサイトによりますと8ミリ以下だそうです。
http://www.pencil.or.jp/index.html
http://www.pencil.or.jp/pencils_jis/jis_6.html

そして、私がほしいコンテや木炭を芯にした鉛筆は、私の測定では約8.2ミリなのです。

閑話休題。

轆轤の話しているうちに、私のブログをお知らせしても良いという話になりました。

この機に轆轤に関する記事の整理をしても良いかなと考えました。
というわけで、以下は、轆轤に関するリンク集です。

こんなことを私が調べ始めたきっかけは、マトリョーシカでした。
私は、様々なマトリョーシカの産地を見てきたのですが、最も印象深かったのはポールホフスキー・マイダンでした。
というわけで、まずポールホフスキー・マイダンに関する記事にリンクを貼ります。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/40203021.html

ポールホフスキー・マイダンは、轆轤の里ですが、元マトリョーシカ博物館長(故)サラヴョーヴァは、キリスト教を禁じたソ連当局が見逃すほどの僻地だと書いています。
人口2000人程度の村ですが、ほとんどの住人がマトリョーシカをヂ希有芯とする轆轤細工に関係しているという村です。
訪問記録は、上の記事の前後にいくつか書きました。
訪問決算のページにもリンクを貼っておきます。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/40195204.html

マトリョーシカは、1890年頃、(早くても1898年)にモスクワで誕生しました。
最初のマトリョーシカが作られた跡地には、最近までマトリョーシカ博物館がありました。
(URLを示してリンクを貼ってきましたが、ここからは文中の単語にリンクを貼ります。)

ここで最初のマトリョーシカが作られたとき、日本の七福神がモデルになったという説があります。
この時にモデルになったという箱根入れ子七福神は、2体失われ5体の状態で、セルギエフパサードの玩具博物館に展示されています。

マトリョーシカは、モスクワで誕生したのですが、ここは見本工房。1900年パリ万博で銅メダルを受賞し注文が殺到するようになると、モスクワ北方約70㎞にあるセルギエフ・パサードがマトリョーシカ生産を担うようになりました。
しかし、最近ここの工場の轆轤細工は、旅客に作る過程を見せる程度に縮小しているように感じられます。

順番から言うと、セルギエフ・パサードで大量生産されるようになった後、マトリョーシカは、モスクワから数百㎞東にあるニジニノブゴロド州で作られるようになりました。

ニジニノブゴロド州中心ニジニノブゴロド市北方約100㎞にセミョーノフという伝統的な木工の街があります。
さらに20㎞ほど北へ行きますとメリノヴォという村があって、1922年にマイヨーロフという木工轆轤職人がセルギエフ・パサードのマトリョーシカを持ち帰ったと言い伝えられています。

セミョーノフに戻ります。
ホホロマ(ホフロマ)というラッカーウェアが有名なのですが、ここでマトリョーシカを大量生産しています。

正確な年代はわからないのですが、多分1940年頃、マトリョーシカは、ニジニノブゴロド州の南方にあるポールホフスキー・マイダンでも作られるようになりました。

その後、更に北東にあるキーロフ州でもマトリョーシカが大量生産されるようになりました。

さらに北東、ノヴォシビルスクの近く、ムヴォクズネツクにも工場があるという話なのですが、ここは、まだ訪問できていません。

さて、日本側の事情です。

マトリョーシカのモデルになったと言われている箱根入れ子七福神は、現代にも引き継がれています。残念なことに後継者がいないので、多分、最後の作家ということになるのでしょう。

また、マトリョーシカそのものは特許があるわけではないので、木工轆轤があれば誰でも作れるでしょう。ただ、職人の法則で述べたように、小規模に個人で作れば、とてもじゃないが今売られているような安価な価格で売ることはできないと思います。
こけしの産地鳴子でも入れ子七福神を見かけましたが売り物ではありませんでした。

鳴子では、轆轤の歴史に関する画像を入手できました。

轆轤細工は、発祥の地があります。
あきらかにそれ以前に作られた作品が発掘されているのですが、精神的にはこの地が発祥の地なのだそうです。

轆轤は主に碗を作ったようです。
この碗がどのようにマトリョーシカになるかというのが、このページ最後の問題です。

まずは、修行僧用、入れ子携帯食器、応量器です。

江戸時代、農民が豊かになり、温泉旅行が流行ります。
温泉側では、土産物が作られます。
こうして、天保年間(1844年頃)信濃屋亀吉という人が、応量器を発展させてというか遊び心というか、入れ子12卵を作りました。
これが入れ子七福神に発展し、モスクワにもたらされてマトリョーシカ誕生時のモデルになったと言われています。

尤も、リンクを貼ってきた私のページでも触れていますが、ロシアも日本も轆轤細工で入れ子卵やりんご型の器のような物を作っています。入れ子七福神やマトリョーシカが伝播したものか、それぞれが似た者を作ったのか、厳密にはわかりません。
長くなったので、ここではこれ以上深入りしません。
この程度にしておきます。












2015年5月14日木曜日

ボンマルシエ

竹久夢二とロートレックの展覧会の思い出を書いていて気になったことをここに書きます。

ボン・マルシェ百貨店(ボン・マルシェひゃっかてん、Le Bon Marche)はフランス、パリ7区のバック通りにある百貨店。世界最初の百貨店と言われている。

ウィキペディアからの引用です。
もう少し引用を続けます。

もともとは1838年にヴィドー兄弟が創業した[1]パリの流行品店(生地屋)のひとつだったが、1852年にオルヌ県の帽子屋の息子であったアリスティッド・ブシコー(Aristide Boucicaut)によって買い取られ、夫人マルグリット(Marguerite)とともに、バーゲンセール、ショーケースによる商品の展示、値札をつけ定価販売を始めるなどの百貨店としてのシステムを確立、発展していった。また返品を認めるなど~、小売店の社会的地位を高めることにも貢献した。

続いて三越です。
同じくウィキペディアから引用

江戸時代の1673年(延宝元年)に「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた、呉服店の「越後屋」として創業。~
現在の商号「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものである。~

こうして比べると、随分日本の方が早いのですね。




2015年5月12日火曜日

琳派

京都文化博物館
現代作家が、それぞれの琳派を解釈して、自分の作品を発表する展覧会。
陶芸
inlaid
英語表記があるのに日本語訳がない。
ここの学芸員は不親切でなければバカだ。

展覧会そのものは、良かった。

下の常設も悪くは無いが、子供の学習にに寄与するという意味では、大阪歴史博物館が上。



2015年5月10日日曜日

記録

最近の見学記録

2014年8月5日(火)~2014年9月28日(日)
デュフィ展
http://www.aham.jp/exhibition/future/dufy/

2014年10月18日(土)京都国立博物館、鳥獣戯画巻(古)
http://chojugiga-ten.jp/news/
Web絵巻~http://chojugiga2015.jp/emaki/
高山寺 公式ホームページ
http://www.kosanji.com/chojujinbutsugiga.html

2014年10月19日(日)ハルカス美術館、新印象派展
http://www.aham.jp/exhibition/future/neo-impressionism/

2014年10月28日(火)「あ」グループ展
2015年1月27日(火)阿倍野ハルカス、高野山の名宝
オフィシャルサイトhttp://www.aham.jp/exhibition/future/kouyasan/pdf/kouyasan_PR.pdf
画像のあるサイトhttp://blog.goo.ne.jp/v_goo_kazu_san/e/bbd07b867fbd915185d7c825393c78db

2015年4月6日(月)郡山上、柳沢文庫

2015年4月26日(日)京都国立西洋美術界、現代美術のハードコアは実は人類の宝である展
ポスターも入場券もマーク・クイン。会場内はポップアートの平面作品が中心。
ヲンディ・ウォーホルのテーマが死であることがよくわかる。
リキテンシュタインも懐かしかった。
http://matome.naver.jp/odai/2140351069499320801?page=2


~京都国立博物館、狩野派
http://kano2015.jp/highlight.html

2015年5月5日(火)姫路城、興福寺北円堂、無着
姫路城 公式 http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/
興福寺 検索 http://www.kohfukuji.com/property/search.html
興福寺の画像公開はすごい。

2015年5月10日(日)魔女の秘密展、大阪歴史博物館

竹久夢二と横山大観を見たのだが、時期も含めて思い出せない。
竹久 夢二(1884年(明治17年)9月16日 - 1934年(昭和9年)9月1日)
横山 大観(1868年11月2日(明治元年9月18日) - 1958年(昭和33年)2月26日)
画像は、直接名前で検索する方が良い。

その都度記録しなければいけない

とほほ

ついでにその後のメモです。

2015年5月13日(水)奈良礼賛
東大寺戒壇院月光菩薩木彫模刻はじめ、廃仏毀釈以後の保存・復旧運動。
手の折れた阿修羅の写真が痛々しい。
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/22/











姫路城

5/5、白すぎる姫路城を観た。
乾小天守、西小天守が修理対象外なので、見比べると修理直後の天守の白さがよくわかる。



大阪歴史博物館

5月10日(日)、天保山からの帰路、谷町4丁目で下車。歴史博物館に立ち寄る。
常設企画併せて1000円。
これは良い。
中高生の歴史学習にとても良い。

魔女の秘密展

魔女の秘密展を観た。
挨拶文末に、ドイツの関係者の名前はあるのに、日本側主催責任者名が無い。
この無責任さが日本をダメにする。

constipation

連休に大したことをしたわけでも無いのにブログネタがたまった。
たまるとconstipation と言う単語が頭に浮かぶ。
constipation とconstitution 2字違い。
どうしてよく似ているのでしょう。

とまれかくまれ。
書きまくろう。


2015年4月9日木曜日

名人戦

2015年4月9日(木)17時50分頃、
撮り溜めしたビデオ番組を流しながら
ブログで美術関係記事をいっぱいアップしていて
トイレに行こうとビデオを止めたら
BS番組になって、
将棋名人戦、
行方八段が投了する瞬間を見てしまいました。
リアルタイム放送でこんな場面をみるのは珍しいことです。

ついつい
うれしくなって、ブログアップです。

2015年3月12日木曜日

電線盗難

3月11日深夜。
滋賀県で太陽光発電の送電線が盗まれた。
そんなニュースが流れました。

そこで思い出したのがノボデビッチ修道院の池。
大ノボデビッチ池と小ノボデビッチ池があります。

大ノボデビッチ池の北側道路を越えるとウ・ピロスマニという、100万本のバラを贈ったという画家に因んだレストランがあります。

問題は大ノボデビッチ池、ノボデビッチ修道院の対岸。
ここにアヒル親子が行進する彫刻があります。

ピンコロ石に埋め込まれて、しっかりしていて、
先頭の親鳥に子どもがまたがったりします。

これ

ブロンズですから、経済的混乱期には盗まれたそうです。
溶かして金属として売るのですね。

そして、
それを防ぐための見張り小屋があります。

写真を探している間に明日になりました。
いくら探しても見つからない。

クリエイティブコモンズの画像もみつからない。

仕方がないから写真のあるサイトのURLを紹介します。

http://lunteg.dreamwidth.org/271230.html

http://greenword.ru/2012/12/ducklings.html

色々見たい人は、下の検索語をコピペすれば、いろいろな画像がヒットします。

монастыри новодевич утка
(修道院         ノボデビッチ      あひる)


今回、太陽光発電の電線は数百万円規模の損害だとか・・・・・

物騒になりました。

日本でも戦後は、よく電線が盗まれたそうです。





2015年3月11日水曜日

サブロー コスギ

NHK、「ぐるっと関西」で「サブロー コスギ」が紹介されました。

乾漆造り。

面白い。

URLです。

http://www.intersel.co.jp/kosugi/

2015年2月7日土曜日

自作に関するリンク集

「ブログの意味」でgoogle検索すると下のような説明がヒットします。

『「Web(ウェブ)」と「log(ログ)」の造語「weblog(ウェブログ)」で、「Web上に残される記録」を意味する。 この「weblog」が略され、「blog」となった。 1999年に管理・作成が簡単にできるブログツールが開発されたことで、アメリカを中心に広まりはじめ、2001年9月の同時多発テロを機に、新しいメディアとして社会的に認知された。 ブログには正式な定義がないため、細かな部分での定義は個々によって異なる。』

私は、この差異を知りたくて色々なブログサービスを試しています。

一番ホームページに近い使い方をしているのがビッグローブのウェブリブログブログ。
一番日記に近い形で思いつくままに書き込んでいるのが、ここ、グーグル・ブロガーです。

アメーバーブログ(アメブロ)は、未成年の利用が多いようで、性、暴力、個人情報などの表現に対する規制が厳しいので、私も未成年に見せても良い内容の記事を書いています。
逆に未成年者に見てほしくない内容を含む場合はライブドアブログに書いています。

というわけで

(1)ヌード作品は、グーグルドライブにアップしてライブドアブログから、

(2)コスチューム作品は、ヤフーボックスにアップしてアメブロから、

それぞれ入れるようにしています。
(ただし、このページの赤文字のリンクは、それぞれ直接ウェブストレージに飛べます。)

2月10日現在、アンドロイドタブレットやアイフォンからはグーグルドライブに入れないようで、現在調査中です。

(3)もう一つ、フリッカーにタブローをアップしています。

更に、
絵画作品ではないのですが・・・・
(4)ラオコーンに関するページへリンクを貼っておきます。

(5)2月8日ドロップボックスを追加しました。中身は1976年のクロッキーです。

(6)2月11日ドロップボックスに1950年~1978年のクロッキーを追加しました。

試してみたら、ヤフーボックスより早く、大きな画像が表示されるようです。


以上、整理のためのリンクのページでした。

ご笑覧願えれば幸いです。





2015年1月28日水曜日

一点中継つくる 舟越桂


京友禅の老舗「千總」 友禅染 PROCESS OF YUZEN






京友禅の老舗「千總」 友禅染 PROCESS OF YUZEN と題された制作過程の動画です。

このような画像を埋め込めるようになったことは素晴らしいことだと思います。





2015年1月27日火曜日

THE MAKING (126)絹糸ができるまで





「絹糸ができるまで」という動画を見つけました。

取り急ぎ貼り付けます。

2015年1月24日土曜日

プロプカ(пробка)

プロプカ(пробка)は、括弧内に綴りを書いたようにロシア語です。
意味は「栓」や「渋滞」だと思っていました。
ふと気になって調べたら、最初に出てきたのが「コルク」でした。

コルクが瓶の栓になって、流れを妨げる渋滞の栓になったのでしょうね。
血栓の栓ですね。

ムービングウォークやエスカレーターで立ち止まる人って、この栓だと思うのです。
ちょっと後ろに気を配って、急いでいる人がいれば追い抜く空間を空ければ良いのに、
「エスカレーターは歩くものじゃないから」って、流れを止める人です。

ウェブを検索したら、
「エスカレータを歩くのは日本人だけだ」
というような書き込みまで目につきました。

日本のインテリモドキは、このようなことを言いがちです。

私は、主に西洋11カ国程度しか行ったことはないですが、エスカレーターを歩いて叱られたことがありません。
また、歩かない人が片側によらないエスカレーターを見ることも、極めてまれでした。


モスクワ地下鉄ベーデンハ駅で記念撮影しました。
一緒に写っている人には迷惑な事態だと思います。
事情あって、私にとっては思い出の場所なので、叱られても撮りたかったのですが・・・・

今回は、片側がしっかり空けられている証拠として使います。

片側を大急ぎで通りすぎる人がいるのです。
そんな人がいない時を狙って、空いた空間にはみ出して撮ってもらった写真です。

人を批判するときに、「そんなことをするのは日本人だけだ」というような論調を展開するインテリモドキには注意しましょう。

閑話休題。

急ぎたくない人、歩きたくない人が、
急いでいる人の邪魔をしているかどうか、
後ろから人が来ないかどうかに気を配らずに、
どうどうと邪魔をしている。

だから、急いでいる人が怒って、「エスカレーターは歩くか」論議になるのではないでしょうか。



エスカレーターを歩く?

還暦過ぎて少しずつ弱者になろうとしています。
最近足首に激痛が走って、歩くのが困難にもなりました。
今は普通に歩けますが、手すりを持たないと階段を下りるのが怖くなりました。
この立場で、エスカレーターを歩くことについて訴えます。

左右どちでも良いです。
止まる側、歩く側に分かれるのが、最も安心感があります。

「エスカレーターは歩くことを前提にしていない」という説があります。
テレビでも報道されたし、ウェブ上にもそんな記事があります。

でも、急ぐ人やそうでなくても歩く人がいる以上、「片側はどうぞ」と、はっきり示す方が気が楽です。

先程の、「私は階段が怖い」という話ですが・・・・
駅の広い階段の中央付近を歩くより、エスカレーターの手すりを持って歩く方が不安感は小さいです。

別に、エスカレーターにこだわることなく、自分がゆっくり移動したい時は、急ぐ人に追い越す空間を空ける程度の気配りがあっても良いのではないでしょうか。

「エスカレーター歩くな」説には、
「弱者はエスカレーターを歩くのが怖いから、急ぐ人も、歩きたい人も、全て歩かないようにしなさい」という
「弱者の立場に立つことが全て正しい」というような
おしつけを感じるのです。

もちろん、一人分の幅しかない、狭いエスカレーターは、遅い人、つまり歩かない人に合わすべきでしょう。

でも、二人移動する幅があるなら、
「私はゆっくりしたいから立ち止まるけど、急ぐ人は横からどうぞすり抜けてください」
というような譲る気持ちも大切ではないでしょうか。



2015年1月17日土曜日

ブラウザを封印するワンクリック詐欺

上の表題で記事が送られてきました。

牟田氏からあった手口です。

インターネットにつなぐと

有料サイトとの契約が成立していて入金されていない

というような内容が表示さて、コンタクトを求めるような手口です。

そんな相談を受けたのは、もう10年近く前です。

コンタクトを促すメールがくることもあります。

ここに改めて書き込む動機は、このような情報は少しでも広めた方が良いと考えたからです。

このような情報を広めることが被害者を減らすことになると考えるからです。

敢えてリンクは貼りません。

表題をコピーしてペーストして検索すれば、対策のページがヒットします。

今日はここまでです。


2015年1月13日火曜日

ブログ比較

ブログ比較であちらこちらにブログを書いているのです。
おかげで、日記的なブログ機能は使えなくて、
そんなに書けるわけがないので、テーマ別に雑多なデザインされたウェブサイトを作っているみたいです。

アメブロのメッセージは、未成年が使うことを想定して、出会い系的な内容、性的、暴力的内容には過剰なほどに敏感に反応します。

ブロガーは、使い始めたばかりなので、その辺は評価できません。

ライブドアブログは比較的寛大なようです。

ビッグローブ、ウェブリブログは、実は、上手にたどると、私へのメールアドレスを設定したウェブサイトへのリンクも設定してあるのですが・・・・

ライブドアブログだとコメントにURLやメアドも書き込めるのですが・・・・

やはり、この辺で連絡を試すのが良いかと思います。

2015年1月8日木曜日

ロシアの木工

1月7日(水)上本町近鉄百貨店9階催し会場で若い職人さんに会いました。

最近百貨店で職人さんと直接触れ合う機会が増えました。
話の成り行きで、木工関係の職人さんに関する私の記事を紹介することにしました。

ブロガースタートですから、この機会に、ここに木工関係のリンク集を作ってみます。

以下、そんなリンク集です。

まずマトリョーシカの産地ポールホフスキー・マイダン訪問記録です。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/cat_1231414.html?p=6

モスクワで丈夫な車を持った、確かな運転手を見つけて、ポールホフスキー・マイダン往復約900キロの旅に出ました。日本だったら、大阪から山口、あるいは横浜往復程度。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/cat_1231414.html?p=9

次にボゴロツコエを紹介します。
ボゴロツコエはモスクワ北方約100キロにある木彫の村です。
こちらは電車とバスで行けます。博物館もあります。
幸いなことに、夏休みなのに作家がいて、作業場に招待してくれました。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/cat_1231678.html?p=5

マトリョーシカ話に戻ります。
マトリョーシカが誕生したのはモスクワ中心部のレオンチエフスキー・ペレウーロク7番地にあったジェーツコエ・ヴォスピターニエという工房付き出版社でした。平成6年から最近まで、ここにはマトリョーシカ博物館があったのですが、財政事情で閉鎖されたようです。
折角ですから、マトリョーシカ博物館にもリンクを貼りました。

マトリョーシカは1900年のパリ万博で銅メダルを受賞しました。
最初のマトリョーシカを削ったズヴョーズドチキンがジェーツコエ・ヴォスピターニエに就職したのが1898年ですからマトリョーシカの誕生はこの2年間の間でなければなりません。そして、多分1898年だろうと言われています。

マトリョーシカは、時代によって3種類に分類されます。
ズビョーズドチキンは、多分箱根入れ子人形を参考に、面白半分に入れ子人形を削ったのでしょう。
そんなふうに、面白半分に色々な入れ子人形が作られた時代。これが第一世代です。

ロシア革命後、ソ連は分業にる大量生産を進めます。
優れたデザイナーが見本を作って、同じ形を大量生産するものです。
これが第二世代。

そして、ソ連崩壊後、個々の作家が自由にマトリョーシカに絵をつけるようになります。作家のマトリョーシカです。
これが第三世代。

ニジニ・ノブゴロド州セミョーノフ市にある
ホホロムスカヤ・ロースピシ(ホフロムスカヤ)
セミョーノフスカヤ・ロースピシ
キーロフ州にあるノボ・ヴャツカ工場等は、ソ連時代の大工場なのでしょう。
ポールホフスキー・マイダンに大工場はありませんが、2000人ほどの住民の全てが、各家庭でロクロにかかわっているといいますから、これも大量生産時代のものに加えて良いでしょう。

モスクワやモスクワ近郊で、個人で絵をつけて売っている人々の作品が第三世代です。
私が安く購入し、ウェブリ・ブログのスタートで紹介したマトリョーシカも、そのような作家のマトリョーシカです。
ヴェルニサージュで出会ったジャンナさんもそんな一人でしょう。


日本でも、入れ子人形を作る人はいます。
箱根の田中さん
鳴子の松田さん
田中さんの七福神に絵をつける人にも会いました。
東尋坊の近くでした。森岡さん。石井さん

入れ子人形を削って、絵をつけて売るのに、どのくらいの収入が必要だと思いますか。
逆にいくらだと売れると思いますか。

作家が、なんとか生きていけの程度の金額では、おそらくそんなにたくさん売れないでしょうね。
買う人は「高い」と思うでしょうね。


私は、同じ理由で、ロシアのマトリョーシカが・・・・

ロシア経済が十分に熟成してもマトリョーシカが生き残れるか

心配です。


なお、煩雑になるのでこの程度にしておきますが、工芸関係の記事はたくさんあります。
もし、更に御興味がおありでしたら、下のリンク集を御覧ください。

ロシアの工芸








2015年1月7日水曜日

iPad

bulogger試し、続きです。
iPadから書き込みます。
取り急ぎ
アップです。

2015年1月6日火曜日

七転八倒

グーグル・ブロガー開始。
理解困難、魑魅魍魎、悪戦苦闘、七転八倒
実はほとんど朝寝、昼寝、夜は不眠に苦しむ



閑話休題

ブロガー開始の不純な動機は・・・・

ノボシビルスクがロシアの臍であることをビジュアルに表示したくて
グーグルマップを模写して簡単な図を作りました。
手書き、引写し地図には著作権の制限は無いだろうと考えたのでした。
でも、グーグルマップは距離表示が正しいという保証が無い。

グーグルアースなら、ノボシビルスクを中央に持ってくれば、完全と言わないまでも、かなり近いものが表示できるのではないかと考えました。

実際そのようなものが見えました。

そうしたら
欲が出て、

これをブログに貼りたくなったのです。

著作権問題がよくわかりません。

「グーグル関係のサービスの中でできることなら問題ないだろう」

というわけで、グーグル・ブロガーに挑戦しました。

やっとプロフィルをkoscheiにし、古いアバターを貼り付けました。

さて、グーグル・アースは貼れるでしょうか?

ついでに、グーグル・アースでノボシビルスクを見ていますと、オビ川沿いにある鉄橋の記念物まで見えます。

また、川幅1㎞といいます。
この1㎞がその前後の川幅に比べて、いかに狭いかもわかります。

繰り返しますが、ノボシビルスクは、シベリア鉄道を敷設する時、
最も川幅が狭い
川底の地盤が安定していて橋脚も安定する
という理由で選ばれた場所でした。

グーグル・アースで見ると、この話がよくわかります。

でも、グーグル・アースでノボシビルスクを探すことが困難なので、是非ブログに貼り付けて紹介したいのです。

この作業が困難

今、七転八倒です。

というわけで

また昼寝します。



ロシアの臍

ノボシビルスクが本当にロシアの臍か、グーグルアースで実感してみました。

まず、ノボシビルスクを中心に持ってきます。

東西両端を見ますと、やや西上がりの直線で、ほぼ
あくまでも、目分量で、ほぼ、

西のカリーニングラードと中央のノボシビルスクと東のヴラディボストークが直線上に並びました。

まあ、ロシアの専門家がそう言っているのですから、その通りなのでしょうが、素人がグーグルアースで確認するのも一興かと考えました。