2015年1月8日木曜日

ロシアの木工

1月7日(水)上本町近鉄百貨店9階催し会場で若い職人さんに会いました。

最近百貨店で職人さんと直接触れ合う機会が増えました。
話の成り行きで、木工関係の職人さんに関する私の記事を紹介することにしました。

ブロガースタートですから、この機会に、ここに木工関係のリンク集を作ってみます。

以下、そんなリンク集です。

まずマトリョーシカの産地ポールホフスキー・マイダン訪問記録です。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/cat_1231414.html?p=6

モスクワで丈夫な車を持った、確かな運転手を見つけて、ポールホフスキー・マイダン往復約900キロの旅に出ました。日本だったら、大阪から山口、あるいは横浜往復程度。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/cat_1231414.html?p=9

次にボゴロツコエを紹介します。
ボゴロツコエはモスクワ北方約100キロにある木彫の村です。
こちらは電車とバスで行けます。博物館もあります。
幸いなことに、夏休みなのに作家がいて、作業場に招待してくれました。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/cat_1231678.html?p=5

マトリョーシカ話に戻ります。
マトリョーシカが誕生したのはモスクワ中心部のレオンチエフスキー・ペレウーロク7番地にあったジェーツコエ・ヴォスピターニエという工房付き出版社でした。平成6年から最近まで、ここにはマトリョーシカ博物館があったのですが、財政事情で閉鎖されたようです。
折角ですから、マトリョーシカ博物館にもリンクを貼りました。

マトリョーシカは1900年のパリ万博で銅メダルを受賞しました。
最初のマトリョーシカを削ったズヴョーズドチキンがジェーツコエ・ヴォスピターニエに就職したのが1898年ですからマトリョーシカの誕生はこの2年間の間でなければなりません。そして、多分1898年だろうと言われています。

マトリョーシカは、時代によって3種類に分類されます。
ズビョーズドチキンは、多分箱根入れ子人形を参考に、面白半分に入れ子人形を削ったのでしょう。
そんなふうに、面白半分に色々な入れ子人形が作られた時代。これが第一世代です。

ロシア革命後、ソ連は分業にる大量生産を進めます。
優れたデザイナーが見本を作って、同じ形を大量生産するものです。
これが第二世代。

そして、ソ連崩壊後、個々の作家が自由にマトリョーシカに絵をつけるようになります。作家のマトリョーシカです。
これが第三世代。

ニジニ・ノブゴロド州セミョーノフ市にある
ホホロムスカヤ・ロースピシ(ホフロムスカヤ)
セミョーノフスカヤ・ロースピシ
キーロフ州にあるノボ・ヴャツカ工場等は、ソ連時代の大工場なのでしょう。
ポールホフスキー・マイダンに大工場はありませんが、2000人ほどの住民の全てが、各家庭でロクロにかかわっているといいますから、これも大量生産時代のものに加えて良いでしょう。

モスクワやモスクワ近郊で、個人で絵をつけて売っている人々の作品が第三世代です。
私が安く購入し、ウェブリ・ブログのスタートで紹介したマトリョーシカも、そのような作家のマトリョーシカです。
ヴェルニサージュで出会ったジャンナさんもそんな一人でしょう。


日本でも、入れ子人形を作る人はいます。
箱根の田中さん
鳴子の松田さん
田中さんの七福神に絵をつける人にも会いました。
東尋坊の近くでした。森岡さん。石井さん

入れ子人形を削って、絵をつけて売るのに、どのくらいの収入が必要だと思いますか。
逆にいくらだと売れると思いますか。

作家が、なんとか生きていけの程度の金額では、おそらくそんなにたくさん売れないでしょうね。
買う人は「高い」と思うでしょうね。


私は、同じ理由で、ロシアのマトリョーシカが・・・・

ロシア経済が十分に熟成してもマトリョーシカが生き残れるか

心配です。


なお、煩雑になるのでこの程度にしておきますが、工芸関係の記事はたくさんあります。
もし、更に御興味がおありでしたら、下のリンク集を御覧ください。

ロシアの工芸








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