2015年1月28日水曜日

一点中継つくる 舟越桂


京友禅の老舗「千總」 友禅染 PROCESS OF YUZEN






京友禅の老舗「千總」 友禅染 PROCESS OF YUZEN と題された制作過程の動画です。

このような画像を埋め込めるようになったことは素晴らしいことだと思います。





2015年1月27日火曜日

THE MAKING (126)絹糸ができるまで





「絹糸ができるまで」という動画を見つけました。

取り急ぎ貼り付けます。

2015年1月24日土曜日

プロプカ(пробка)

プロプカ(пробка)は、括弧内に綴りを書いたようにロシア語です。
意味は「栓」や「渋滞」だと思っていました。
ふと気になって調べたら、最初に出てきたのが「コルク」でした。

コルクが瓶の栓になって、流れを妨げる渋滞の栓になったのでしょうね。
血栓の栓ですね。

ムービングウォークやエスカレーターで立ち止まる人って、この栓だと思うのです。
ちょっと後ろに気を配って、急いでいる人がいれば追い抜く空間を空ければ良いのに、
「エスカレーターは歩くものじゃないから」って、流れを止める人です。

ウェブを検索したら、
「エスカレータを歩くのは日本人だけだ」
というような書き込みまで目につきました。

日本のインテリモドキは、このようなことを言いがちです。

私は、主に西洋11カ国程度しか行ったことはないですが、エスカレーターを歩いて叱られたことがありません。
また、歩かない人が片側によらないエスカレーターを見ることも、極めてまれでした。


モスクワ地下鉄ベーデンハ駅で記念撮影しました。
一緒に写っている人には迷惑な事態だと思います。
事情あって、私にとっては思い出の場所なので、叱られても撮りたかったのですが・・・・

今回は、片側がしっかり空けられている証拠として使います。

片側を大急ぎで通りすぎる人がいるのです。
そんな人がいない時を狙って、空いた空間にはみ出して撮ってもらった写真です。

人を批判するときに、「そんなことをするのは日本人だけだ」というような論調を展開するインテリモドキには注意しましょう。

閑話休題。

急ぎたくない人、歩きたくない人が、
急いでいる人の邪魔をしているかどうか、
後ろから人が来ないかどうかに気を配らずに、
どうどうと邪魔をしている。

だから、急いでいる人が怒って、「エスカレーターは歩くか」論議になるのではないでしょうか。



エスカレーターを歩く?

還暦過ぎて少しずつ弱者になろうとしています。
最近足首に激痛が走って、歩くのが困難にもなりました。
今は普通に歩けますが、手すりを持たないと階段を下りるのが怖くなりました。
この立場で、エスカレーターを歩くことについて訴えます。

左右どちでも良いです。
止まる側、歩く側に分かれるのが、最も安心感があります。

「エスカレーターは歩くことを前提にしていない」という説があります。
テレビでも報道されたし、ウェブ上にもそんな記事があります。

でも、急ぐ人やそうでなくても歩く人がいる以上、「片側はどうぞ」と、はっきり示す方が気が楽です。

先程の、「私は階段が怖い」という話ですが・・・・
駅の広い階段の中央付近を歩くより、エスカレーターの手すりを持って歩く方が不安感は小さいです。

別に、エスカレーターにこだわることなく、自分がゆっくり移動したい時は、急ぐ人に追い越す空間を空ける程度の気配りがあっても良いのではないでしょうか。

「エスカレーター歩くな」説には、
「弱者はエスカレーターを歩くのが怖いから、急ぐ人も、歩きたい人も、全て歩かないようにしなさい」という
「弱者の立場に立つことが全て正しい」というような
おしつけを感じるのです。

もちろん、一人分の幅しかない、狭いエスカレーターは、遅い人、つまり歩かない人に合わすべきでしょう。

でも、二人移動する幅があるなら、
「私はゆっくりしたいから立ち止まるけど、急ぐ人は横からどうぞすり抜けてください」
というような譲る気持ちも大切ではないでしょうか。



2015年1月17日土曜日

ブラウザを封印するワンクリック詐欺

上の表題で記事が送られてきました。

牟田氏からあった手口です。

インターネットにつなぐと

有料サイトとの契約が成立していて入金されていない

というような内容が表示さて、コンタクトを求めるような手口です。

そんな相談を受けたのは、もう10年近く前です。

コンタクトを促すメールがくることもあります。

ここに改めて書き込む動機は、このような情報は少しでも広めた方が良いと考えたからです。

このような情報を広めることが被害者を減らすことになると考えるからです。

敢えてリンクは貼りません。

表題をコピーしてペーストして検索すれば、対策のページがヒットします。

今日はここまでです。


2015年1月13日火曜日

ブログ比較

ブログ比較であちらこちらにブログを書いているのです。
おかげで、日記的なブログ機能は使えなくて、
そんなに書けるわけがないので、テーマ別に雑多なデザインされたウェブサイトを作っているみたいです。

アメブロのメッセージは、未成年が使うことを想定して、出会い系的な内容、性的、暴力的内容には過剰なほどに敏感に反応します。

ブロガーは、使い始めたばかりなので、その辺は評価できません。

ライブドアブログは比較的寛大なようです。

ビッグローブ、ウェブリブログは、実は、上手にたどると、私へのメールアドレスを設定したウェブサイトへのリンクも設定してあるのですが・・・・

ライブドアブログだとコメントにURLやメアドも書き込めるのですが・・・・

やはり、この辺で連絡を試すのが良いかと思います。

2015年1月8日木曜日

ロシアの木工

1月7日(水)上本町近鉄百貨店9階催し会場で若い職人さんに会いました。

最近百貨店で職人さんと直接触れ合う機会が増えました。
話の成り行きで、木工関係の職人さんに関する私の記事を紹介することにしました。

ブロガースタートですから、この機会に、ここに木工関係のリンク集を作ってみます。

以下、そんなリンク集です。

まずマトリョーシカの産地ポールホフスキー・マイダン訪問記録です。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/cat_1231414.html?p=6

モスクワで丈夫な車を持った、確かな運転手を見つけて、ポールホフスキー・マイダン往復約900キロの旅に出ました。日本だったら、大阪から山口、あるいは横浜往復程度。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/cat_1231414.html?p=9

次にボゴロツコエを紹介します。
ボゴロツコエはモスクワ北方約100キロにある木彫の村です。
こちらは電車とバスで行けます。博物館もあります。
幸いなことに、夏休みなのに作家がいて、作業場に招待してくれました。
http://youkaimamoru.blog.jp/archives/cat_1231678.html?p=5

マトリョーシカ話に戻ります。
マトリョーシカが誕生したのはモスクワ中心部のレオンチエフスキー・ペレウーロク7番地にあったジェーツコエ・ヴォスピターニエという工房付き出版社でした。平成6年から最近まで、ここにはマトリョーシカ博物館があったのですが、財政事情で閉鎖されたようです。
折角ですから、マトリョーシカ博物館にもリンクを貼りました。

マトリョーシカは1900年のパリ万博で銅メダルを受賞しました。
最初のマトリョーシカを削ったズヴョーズドチキンがジェーツコエ・ヴォスピターニエに就職したのが1898年ですからマトリョーシカの誕生はこの2年間の間でなければなりません。そして、多分1898年だろうと言われています。

マトリョーシカは、時代によって3種類に分類されます。
ズビョーズドチキンは、多分箱根入れ子人形を参考に、面白半分に入れ子人形を削ったのでしょう。
そんなふうに、面白半分に色々な入れ子人形が作られた時代。これが第一世代です。

ロシア革命後、ソ連は分業にる大量生産を進めます。
優れたデザイナーが見本を作って、同じ形を大量生産するものです。
これが第二世代。

そして、ソ連崩壊後、個々の作家が自由にマトリョーシカに絵をつけるようになります。作家のマトリョーシカです。
これが第三世代。

ニジニ・ノブゴロド州セミョーノフ市にある
ホホロムスカヤ・ロースピシ(ホフロムスカヤ)
セミョーノフスカヤ・ロースピシ
キーロフ州にあるノボ・ヴャツカ工場等は、ソ連時代の大工場なのでしょう。
ポールホフスキー・マイダンに大工場はありませんが、2000人ほどの住民の全てが、各家庭でロクロにかかわっているといいますから、これも大量生産時代のものに加えて良いでしょう。

モスクワやモスクワ近郊で、個人で絵をつけて売っている人々の作品が第三世代です。
私が安く購入し、ウェブリ・ブログのスタートで紹介したマトリョーシカも、そのような作家のマトリョーシカです。
ヴェルニサージュで出会ったジャンナさんもそんな一人でしょう。


日本でも、入れ子人形を作る人はいます。
箱根の田中さん
鳴子の松田さん
田中さんの七福神に絵をつける人にも会いました。
東尋坊の近くでした。森岡さん。石井さん

入れ子人形を削って、絵をつけて売るのに、どのくらいの収入が必要だと思いますか。
逆にいくらだと売れると思いますか。

作家が、なんとか生きていけの程度の金額では、おそらくそんなにたくさん売れないでしょうね。
買う人は「高い」と思うでしょうね。


私は、同じ理由で、ロシアのマトリョーシカが・・・・

ロシア経済が十分に熟成してもマトリョーシカが生き残れるか

心配です。


なお、煩雑になるのでこの程度にしておきますが、工芸関係の記事はたくさんあります。
もし、更に御興味がおありでしたら、下のリンク集を御覧ください。

ロシアの工芸








2015年1月7日水曜日

iPad

bulogger試し、続きです。
iPadから書き込みます。
取り急ぎ
アップです。

2015年1月6日火曜日

七転八倒

グーグル・ブロガー開始。
理解困難、魑魅魍魎、悪戦苦闘、七転八倒
実はほとんど朝寝、昼寝、夜は不眠に苦しむ



閑話休題

ブロガー開始の不純な動機は・・・・

ノボシビルスクがロシアの臍であることをビジュアルに表示したくて
グーグルマップを模写して簡単な図を作りました。
手書き、引写し地図には著作権の制限は無いだろうと考えたのでした。
でも、グーグルマップは距離表示が正しいという保証が無い。

グーグルアースなら、ノボシビルスクを中央に持ってくれば、完全と言わないまでも、かなり近いものが表示できるのではないかと考えました。

実際そのようなものが見えました。

そうしたら
欲が出て、

これをブログに貼りたくなったのです。

著作権問題がよくわかりません。

「グーグル関係のサービスの中でできることなら問題ないだろう」

というわけで、グーグル・ブロガーに挑戦しました。

やっとプロフィルをkoscheiにし、古いアバターを貼り付けました。

さて、グーグル・アースは貼れるでしょうか?

ついでに、グーグル・アースでノボシビルスクを見ていますと、オビ川沿いにある鉄橋の記念物まで見えます。

また、川幅1㎞といいます。
この1㎞がその前後の川幅に比べて、いかに狭いかもわかります。

繰り返しますが、ノボシビルスクは、シベリア鉄道を敷設する時、
最も川幅が狭い
川底の地盤が安定していて橋脚も安定する
という理由で選ばれた場所でした。

グーグル・アースで見ると、この話がよくわかります。

でも、グーグル・アースでノボシビルスクを探すことが困難なので、是非ブログに貼り付けて紹介したいのです。

この作業が困難

今、七転八倒です。

というわけで

また昼寝します。



ロシアの臍

ノボシビルスクが本当にロシアの臍か、グーグルアースで実感してみました。

まず、ノボシビルスクを中心に持ってきます。

東西両端を見ますと、やや西上がりの直線で、ほぼ
あくまでも、目分量で、ほぼ、

西のカリーニングラードと中央のノボシビルスクと東のヴラディボストークが直線上に並びました。

まあ、ロシアの専門家がそう言っているのですから、その通りなのでしょうが、素人がグーグルアースで確認するのも一興かと考えました。