2018年3月30日金曜日

少年雑誌

NHK プレミアムカフェ 幻の色 よみがえる浮世絵
という番組で、
「浮世絵の価格は、天麩羅蕎麦程度」という放送を聞いて夢想が広がりました。

今、天麩羅蕎麦は300円程度でしょうか。
店によってかなり幅があると思うのですが・・・・

次に

少年雑誌の価格は、といいますと

少年ジャンプとか少年マガジンとか少年サンデーとか・・・・
ウェブ検索すると概ね300円弱でした。

夢想は、半世紀少々遡ります。

貧しかったのだろうと思います。
小学校の頃私は、父親が一山幾ら~で古本屋から買ってきた少年雑誌をむさぼり読んでいました。

そんな中に戦記物があって、小松崎茂という挿絵画家の描く戦争画に魅了されていました。

余談ですが、私は、大和、武蔵、長門、陸奥、伊勢、日向~という旧国名も、金剛、榛名、比叡、霧島、高雄、鳥海~というような山の名前も、地理や歴史としてではなく、戦記物に登場する軍艦の名前として覚えました。

閑話休題
小松崎茂の絵の話でした。

小学校の図画・工作の時間には、花、人、物語などの絵を描かされましたが、私は、それに数倍する熱心さで小松崎茂の絵を模写しました。

もとい

まねをしました。
模写というほどしっかりしたものではありません。

でも、
まねをすることで遠近法、陰影法、ハッチングなどの描写に関する基礎的な練習にはなりました。

筋肉の発達を、器用さ、速さ、強さに分けて見ると
きわめて大雑把に言えば
器用さは、小学校
速さは、中学校
強さは、それ以後
という具合にわけられるそうです。

小学校の図工では習わなかったけれど
その代わりに少年雑誌が訓練の機会を与えてくれていたのです。

江戸時代の浮世絵は、幼児ではなく大人を対象にしたものでしょうが・・・
安い昼食程度の価格で販売されたということは、
多数の庶民の審美眼涵養に貢献したのではないかと思います。

もう私は少年向け雑誌を買いませんが、その代わりに成人向け雑誌を買うことはありまして、
少年時代のようにわくわくする挿絵に巡り逢う機会が無くなったように感じます。






2018年3月28日水曜日

うろこの家・うろこ美術館

2018年3月27日(火)に訪問しました。
展覧会については、別に書きました。

こちらは、少々厭味っぽい感想です。


無料の案内状を頂いて出かけました。
後で調べたら1050円。
これは、高いと思います。
記念建造物だったら、公費で支援して入場無料にするべきだと思います。

さて

小高い所にある異人館街
さらに上の方にある「うろこの家」
老体にとっては、軽い登山気分

家屋を屋根より高い位置から撮影しています。
この家の入り口まで
水平方向、家一件分移動すれば入り口の高さになります。
かなりの急坂であることがわかると思います。


途中にこんな廃屋がありました。
少子高齢化
この辺りもさびれつつあるのでしょうか。

こんな風な
造成中
そのくせ建築機器の見当たらない
かなり埃の蓄積した
途中放棄のような区画もありました。


地域全体として観光地として整備できない
そんな行き詰まりを感じました。

とまれかくまれ
館内

美術館部分
一階は、松浦氏の企画
二階は、かつての収蔵作品(多分)
マチスやワイエスの作品もありました。

女子来館者が語っていました。
「作品について知っていたらもっと興味をもてたかもしない」

そうか
日本人の一般教養は、マチスもワイエスも知らないレベルなのか。
じゃあ
ビュッフェもユトリロも知らないのでしょうね。

ついでに
ロシア語で署名された作品もありました。
流石に、一般訪問客に、これを読み取れとは言えません。

とすれば、
「誰が、どんな作品を、どのように収集したのか」程度の説明があっても良いのではないかと
思いました。


「聖エリザベト」「ハンガリー」と読むのでしょうね。
第6回十字軍で夫が病死
フリードリッヒ二世との再婚も検討されたという聖女です。

ウィキペディア情報です。

我が家から「うろこの家」へは、2時間近くかかります。
電車内でダイアモンド博士の「銃・病原菌・鉄」を読んでいました。
ちょうどうまい具合に「カハマルカの惨劇」を読んだ所でした。

カハマルカというのは、インカ帝国最後の皇帝アタワルパがフランシスコ・ピサロによって幽閉され最期をむかえた地で、
その惨劇というのは、
1532年11月16日168名のスペイン人が数万人のインカ人に襲いかかり数千人を殺したという事件で
人数的に不可能に近い戦に勝ったスペイン人は、神の加護に感謝したといいます。
こんな残虐な行為の成功を感謝されるような神は、否定されなければならないと思いませんか。
同じ頃
日本にも鉄砲やキリスト教が伝わっており
その後豊臣秀吉や徳川家康は、このようなキリスト教を拒否しています。

約300年後
黒船の頃
やはり日本人は西洋人を拒否します。
攘夷です。
攘夷ができない征夷大将軍が大政奉還して
開国になります。

その後
インベーダーと仲よくなる過程で
こんなふうな異人館街があった
そんな考え方をすれば
異人館街は、閉鎖的な日本人が西洋に心を開く過程をしのばせる貴重な歴史遺産だと思います。

そんな大切な歴史遺産が
1050円の入場料を取らないと維持できない
そんな文化行政が情けないと感じたことから
書いてみました。